2018世界一周の旅 その65「この田舎にやってきた理由は?」

サラエボで一泊した私は、翌日ビハチ行きのバスに乗りました。ヒバチはボスニア・ヘルツェゴヴィナとクロアチアの国境にあります。クロアチアはボスニア・ヘルツェゴヴィナの西側と北側を取り囲んでいるので、長い国境線を作っています。

サラエボからバスに揺られて走るのは、まさに片側一車線しかないような田舎道でした。曲がりくなった道もあれば、深い森におおわれた所もありました。こんな所に誰が住んでいるの?と思うような場所もあるけど、決して突き当りの路ではありません。それは二つの国を結ぶ、幹線道路のひとつでもありました。

とても緑の多い街

4時間ほどで到着したビハチは、周辺を入れて人口10万人ほどの街ですが、中心地もとても静かでした。その日が日曜日ということもあったのでしょうが、お店は殆ど開いていませんでした。川沿いに大きな公園があり、素敵な雰囲気がありますが、サラエボからずっと気温が低いので、あまり体調が良くありません。

バスターミナルを出て、今日予約したホテルに向かいます。ここも民泊ですね。何とか時間前に部屋に入ることはできましたが、おばさんは全く英語が通じません。共用のトイレにはペーパーもなければ、部屋においてあったタオルは濡れていました。もちろん文句を言って替えてもらいました。

おしゃれなカフェもあります

私が何故こんな辺鄙な街に来たかというと、ここからクロアチアの観光地に行くためです。そこはクロアチアの首都ザグレブからバスで行っても2時間はかかります。ということでここから行き午前中に観光して、夕方にはザグレブに行く予定でいます。

インターネットで調べたときは、そのバスの時刻がでていませんでした。バスターミナルに行って尋ねると、ビハチからクロアチアの世界遺産に登録されたプリトビチェ湖沼群の街に行くバスは、午後2時にしかないそうです。その日は日曜日のため、もちろんその日に行くバスはありませんでした。

さてルートを変更しなければなりません。結局翌日の朝一番のバスでザグレブに行き、プリトビチェにはその次の日に行くことにしました。

 

 

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2018世界一周の旅 その64「スルプスカ共和国を知っていますか?」

サラエボと言えば、現在ボスニアヘルツェゴビナの首都ですが、オスマン帝国が負けるとオーストリア=ハンガリー帝国の領土となり、1914年その帝国の皇位継承者エステ公が暗殺されたのが「サラエボ事件」、第一次世界大戦の引き金となりました。

その第一世界大戦後、ユーゴスラビア王国の一部となり、第二次世界大戦が終わるとチトー大統領の元、ユーゴスラビア社会主義共和国連邦のなかの一共和国として、連邦を構成してきました。サラエボの経済がピークを迎えたのは、冬季オリンピックが開催されたころです。

サラエボ事件の舞台にもなった市庁舎

ボスニア・ヘルツェゴヴィナには3つの民族が住んでいます。クロアチア人、セルビア人そしてボシュニャク人です。このボシュニャク人はもともとクロアチア人やセルビア人と同じスラブ民族でした。15世紀以降オスマン帝国の支配下になった時、モスリムに改宗したのがボシュニャク人です。もともとボスニアの民という意味もあり、モスタルを中心とした、ボスニア・ヘルツェゴビナに住んでいました。

ユーゴスラビアが解体した時に、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立宣言すると、「モスタルがなぜ戦場になったのか?」 でお話したように、同じ国に住む異なった民族同士が武器を持ち戦うことになったのです。

1994年アメリカの主導により、ボシュニャク人が主導するボスニア・ヘルツェゴヴィナ中央政府と、クロアチア人勢力との間に停戦が成立すると、このふたつの勢力は協力して、セルビア人勢力に反撃開始しました。その後NATOによる軍事介入、1995年国際連合の調停でやっと和平協定(デイトン合意)に調印され、紛争が終わりました。

サラエボ市内

このデイトン合意によって、ボシュニャク人(モスリム)とクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦とセルビア人主体のスルプスカ共和国(セルビア共和国)というふたつの構成体からなる連合国家となりました。

人口構成ではわずか35%にも満たないセルビア人ですが、スルプスカ共和国は全体の49%を占めています。このふたつの構成体はそれぞれの議会を持ち、大統領や首相もそれぞれにいます。スルプスカ共和国は政府をバニャルカ(事実上の首都)に置いていますが、名目上の首都はサラエボの東側に隣接するイストチノ・サラエボです。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの政治はまだ国際的監視下にあります。それぞれの民族の代表者が4年ごとに選ばれ、大統領評議会を構成しています。そして8か月ごとに順番で国の代表をつとめているそうです。

サラエボではこのスルプスカ共和国側も歩きましたが、私はふたつの国に行ったことになるのでしょうか?実際には政府も議会もあるのに、認証された独立国ではない不思議な国「スルプスカ共和国」です。

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2018世界一周の旅 その63「オスマン帝国の文化が残るサラエボ」

最悪のゲストハウスにいても気持ちが沈むので、早速旧市街へと行ってみることにしました。街の中を歩いていると、他のヨーロッパの街と変わらず、5、6階建てのビルが並んでいます。1階がお店になっていて、その上は住居になっているのでしょう。おしゃれなレストランやお店も続いていています。

旧市街の方に歩いていくと、今までのおしゃれな店の代わりに、まるでトルコにいるような低い建物が現れます。そして中心地のバシュチャルシヤ周辺は、まるでトルコと言っても過言ではありません。スークと呼ばれる市場上になったお店が並んでいれば、トルコ料理のケバブの店もたくさんあります。

サラエボの旧市街にあるハト広場

一瞬ここが旧ユーゴスラ日であることを忘れてしまいました。数日前までのクロアチアではキリスト教文化を見たのに、ここはタイムスリップしたようです。そしてコソボに居たときのことを思い出しました。サラエボの街を歩いていると、プリズレンによく似ている気がします。

街を流れる川、川にかかっている橋、そしてオスマン帝国の影響でモスクが多いのと、そのなかにたくさんの大聖堂や教会があったりと、、。写真を見比べると、どちらがどちらか迷ってしまいそうです。

ハト広場と呼ばれるバシュチャルシヤ広場から通りを越えて歩くと、職人通りと呼ばれるところがあります。トルコと同じように職人の手細工により工芸品を見ることができます。すごいと思っても、お土産には重すぎますね。

サラエボで飲んだフラットホワイト

そろそろユーゴスラビアのコーヒーに飽きた私は、ここでフラットホワイトを飲むことができました。オーストラリアから来たオーナーが、ここでカフェを営んでいます。オーナーの両親はサラエボ出身ですが、そこに戻り自分の仕事をしながら、カフェをやっているそうです。

オーナーとはお話しただけ、実際にフラットホワイトを作ってくれたのは、雇われている現地の青年でした。でも彼らも英語が話せるし、オーストラリアと同じようにコーヒーをいれてくれました。スイートを薦められましたが、「ごめんなさい、甘い物は苦手なの。」でも午後のひとときを美味しいコーヒーで過ごせました。

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2018世界一周の旅 その62「薄暗くて陰気だったサラエボの宿」

モスタルから列車でサラエボ駅に到着した私は、隣にあるバスターミナルでバスのチケットを購入した後、今回泊まるゲストハウスに向かいました。bookingコムで予約した時は、一応一軒家の大きなゲストハウスなので、「それほど悪くないだろう」と思っていましたが、今回の旅行で泊まった最悪の場所でした。

駅を出ると市内の中心地とは離れた方向へと向かいます。線路沿いに左に歩いていきますが、あまり民家もなく寂しい所でした。今まで暑い所にいたのですが、雨も降っているせいでしょうか?この街は寒いですね。シドニーを出たときと同じ服装になってしまいました。

サラエボの駅構内

アプリを見ながら歩いていくと、何とかその場所に到着したようです。道路からちょっと上にある3階建ての1軒屋でした。しかし玄関にはゲストハウスの名前も何も書いてありません。開いていそうな入り口を入り、声を掛けても返事はありませんでした。

5分ぐらい声をかけると、ひとりおばあちゃんが出てきました。もちろん英語は通じません。それと入れ替わりに今度は若い女性が出てきました。「部屋を予約してある」と言っても通じないようなので、bookingコムの予約ページを見せます。そしたら宿泊客だとなんとか理解してもらえました。

案内された部屋はダブルですが、半地下のような薄暗い部屋。どうやら坂になっているので、部屋が半地下になっているようです。ちょっと薄暗いからと今度は別棟の2階を案内されました。1階にはオーナーが住んでいるようですね。

サラエボで泊まった最悪のゲストハウス

ところが外から2階にあがる階段には、私の大嫌いな「かたつむり」がうじゃうじゃ、、。もう唖然として足がすくみ動けなくなりました。雨でたくさん出てきているのでしょうが、踏んでしまったらと思うと???とりあえず夕方になったらオーナーが戻ってくるというので、それまでその部屋を利用することにしました。夕方戻ってくると、オーナーは明日戻ってくると言われました。

どうせ1泊しかしないからと諦めて、そのままその部屋を利用しましたが、民泊は到着するまで分かりません。それならホステルの方が良いかもしれませんよ。物価の安い国ではシングルに泊まりたいと思っていますが、たまにこんな最悪の宿にたどり着くこともあります。

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2018世界一周の旅 その61「モスタルから列車に乗ってみた」

モスタルで2泊した私は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボに行くことにしました。オリンピック開催などで名前は聞いたことがありますが、今まで行く機会のなかった街です。ボスニア・ヘルツェゴビナに来る観光客はモスタルまで来て、サラエボに行かな人は多いようですね。私もモスタルからクロアチアに抜けるかどうか迷いましたが、やはりサラエボにも行くことにしました。

モスタルからサラエボまではバスで行くこともできますが、時間が鉄道よりもかかって値段も高いそうです。旅行中一度は列車に乗ってみたかったので、列車でいくことにしました。モスタル駅はバスターミナルの隣なので分かりやすいですが、なんとも閑散としています。一日2往復しかしない列車ですからね。前日にチケットを買いに行った時も、駅構内にはほとんど誰もいませんでした。

モスタルからサラエボまでのった列車

7時15分発の列車にのるために行くと、この列車は他の街から来るのでしょうか?意外とたくさんの人が列車を待っていました。駅の裏側に住んでいる人たちは、線路を横切って通勤路して利用していました。駅の改札もない所だから、線路わきから入ってこれるのかもしれません。

列車は意外と心地よかったです。指定席でしたが、私の前に座ったのはインドから来た若いカップルでした。まだ結婚していないけど、ふたりで旅行するのが楽しみだそうです。インドでも中産階級の人かもしれません。結婚前だからという観念にとらわれない新しい世代です。

列車で一緒になったインド人のカップル

今回はクロアチアとボスニアヘルツェゴビナを二人で旅行しているそうです。今日サラエボに泊まって、明日インドに戻ると言っていました。二人が英語が話せるので、会話を楽しんでいたら、外の景観を見る暇もなくボスニア到着です。だって1時間で到着しますからね。

と言ってもホテルに行くには早すぎるので、ふたりと一緒に駅のなかにあるコーヒーショップで、一緒にコーヒーを飲むことにしました。彼はなかなか優しい人で、私の分まで注文してくれました。こんな気持ちよく朝を迎えたのも久しぶりですね。やはり列車の旅はのんびりできます。

 

 

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2018世界一周の旅 その60「日の丸のついた市バスに乗って、、」

モスタルに一泊した翌日は、市内を離れて遠出してみることにしました。と言っても市内バスでわずか30分足らずですから、それほど遠出にも感じないでしょうが、「何時バスが来るか分からない場所」では、街を離れるのはちょっと怖いです。ラッキーなことに宿のおぼさんがバスの時刻表を持っていました。バス停の場所を訪ねて、そこまで歩いていきます。

バス停もいくつかあるので心配でしたが、地元の人に聞いて、何とか確認をとりバスを待つことにしました。黄色い市内バスが来て乗り込みます。今日尋ねるブルガイの洞窟まで2KMです。2kmじゃないですよ、現地の通貨です。

日本からの復興支援で走っている市内バス

バスに乗るときも、乗ってからもびっくりしました。というのは日の丸のマークがついていました。そうこのバスは復興支援のために日本から寄付されたものです。まさか日本製だとは思いませんが、こうやって書かれていると、私まで「ありがとう」と言われているみたいだ。

ブルガイまでモスタルから約30分。そこから歩いて10分ほどで洞窟に到着した。そこには1663年ごろに建てられたオスマン帝国の修道院がありました。修道僧のために建てられたそうですが、現在は信者や観光客がおとずれるようです。お金を払って中に入りましたが、ブナ川沿いに歩いていくと外観だけでも楽しめます。

ブルガイの修道院テキヤ

その川沿いにはたくさんのレストランがあります。水路になっているので、そこにいる限り、外の暑さを忘れることができるようです。魚料理に飢えているので、ます料理を食べたかったけど、私が乗る予定のバスまで時間がありません。それを逃したら夕方になってしまいます。そんな時は街に戻るのを優先しましょう。

「ブルガイの修道院テキヤ」は、世界中にあるテキヤの中でも美しさで知られています。ブナ川とマッチして、美しいひと時を過ごすことができました。中は思ったほど興味を引かれませんでしたが、冷たい飲料水を自由に利用することができます。暑いときはペットボトルを持って、途中で給水できるのが最高です。

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2018世界一周の旅 その59「モスタルの街の中を歩いてみたけど、、、」

チェックインした後、モスタルの街の中を歩いてみました。まずはこの街のシンボル「スタリモスト(古い橋)」まで歩いてみましょう。この街にはオスマン帝国時代の影響が今でも残っているようです。モスリムの人たちもたくさん住んでいますが、トルコと同じお土産が売られていました。ばらまきようのお土産を購入するにはお手頃ですよ。

スタリモストは紛争で壊されたとは思えないほど、完全に再建されていました。もちろん壊される前を知りませんが、その石のひとつひとつが、1567年に完成した時のものです。歩いてみると足の下から歴史が伝わってくるようです。たくさんの人が歩いたせいか、石はつるつるで滑りそうになりました。今はこの橋が「平和の架け橋」になっています。この橋が再建されて、この街にもう一度平和が訪れました。この橋をみるために、世界中から観光客が訪ねてきます。

弾丸の爪痕を残しているアパート

若者たちがこの橋の上から川に飛び込むのが伝統になっているそうですが、ひとりの若者がちょうど飛び込むところでした。観光客から希望があるとお金をもらって飛び込むようです。数日後にはその大会が開催されるようで、下流では飛び込みの練習をしている姿がみれました。

橋を渡り待ちの中を歩いていると、まだ銃撃戦の爪跡が残っている建物がたくさんあります。完全に壊され廃墟になっている建物がかなり多いです。それを取り壊して新し建物を建設する気持ちになれないのでしょうか?それともオーナーが亡くなって放置されているのかもしれません。木や草だけが生い茂り、悲しさを隠しているように見えました。

紛争で壊された廃墟

弾の跡を修復して、人が住んでいるアパートもたくさんありました。ペンキなどで隠している所もあれば、まだそんな余裕がないのか、そのまま住んでいる所もありました。今から20数年前に旅行したベイルートを思い出しました。

バルカン半島では他の街も紛争がありましたが、コソボでもクロアチアでも、これほど弾丸の跡は残っていませんでした。もちろんそれは修復したからないのでしょうが、20年過ぎてもこれだけ残っていると悲しいですね。でもこの街はとても穏やかでした。このまま平和が続くことを願っています。

 

 

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