2018世界一周の旅 その46「ウルツィニからドブロブニクへ」

モンテネグロのウルツィニで1泊した私は、今日はクロアチアのドブロブニクに向かいます。最初は物価が高いので敬遠していたのですが、アドリア海一の観光地を見ないで、旅行を終えるのは無念になるので、たっぱり行くことにしました。今日はアドリア海沿いに北上していきます。

バスは朝5時出発です。そのために3時半に起きたけど、小さな街のせいか問題なくターミナルに到着できました。ドブロブニクまでのバス代は22.5ユーロー、観光地なのか他のルートに比べると高い気がします。そして荷物を預けるときに1ユーロードライバーに払いました。一応領収書をくれるけど、ドライバーの収入になるのかしら?

バスはアドリア海沿いに走ります。前回行ったコトルまで、バールやブドゥバと言ったリゾート地を通っていきます。街の中心地にはホテルやレストランが集まっていますが、夏休みのバカンスシーズンなので、ヨーロッパ各国からたくさんの旅行者がたくさん歩いていました。

ことる湾の奥に見えるのがコトルの街

 

ベネチア帝国に支配されていたころ、赤い屋根の家が建設されたようで、ドブロブニクに負けないような景色が続いています。ネットで見ると物価はドブロブニクに比べてかなり安いので、リゾートでのんびりしたいなら、こちら方がお勧めですね。

バールからは首都ポトゴリッツアやセルビアに行く列車が出ています。ベオグラード=バール鉄道は途中ボスニアヘルツェゴビナを経由するので、3か国をまたぐ国際列車になっています。旅客としての需要は少ないですが、山岳鉄道として観光客に人気がでているそうです。

そしてコトルに到着すると、トイレ休憩を兼ねて15分ほどバスが停まりました。この街ならもう一度泊まりたいと思いましたが、城壁は他の都市の方が見ごたえありました。そこからの眺めは価値があったけど、8ユーローはちょっと高いかもしれません。

コトル湾に浮かぶ島にある教会と修道院

コトル湾沿いにバスは走っていきます。コトル湾は細長い入り江です。その一番奥にあるのがコトルです。大型のクルーズ船も入れるほど、深い入り江が海岸線まで続いています。この辺りでは船やフェリーを移動や観光に使っています。入り江を半周したので、今回は行かなかったけど、海に浮かぶ教会がとてもきれいに見えました。

ウルツィニを出発して約4時間で、モンテネグロの出国審査。それが終わるとバスで5分ほど走ったところで、クロアチアの入国審査。クロアチアはEUに加盟しているせいでしょうか、入国審査が厳しかったですね。

入国審査をして約1時間後に、アドリア海一の観光地「ドブロブニク」に到着しました。街に入る前に高い所を通っている道路から市街を見ましたが、やはりたくさんの人が訪れるように、とってもきれいでした。

カテゴリー: 世界一周 | タグ: | コメントを残す

2018世界一周の旅 その45「これがヨーロッパのリゾート地ですか?」

モンテネグロのウルツィニにやってきた私は、部屋ができるまで、街の中を歩いてみることにしました。まずやってきたのがウルツィニ城です。城と言っても大きな建物は見かけませんでした。城壁のなかに旧市街が広がっています。ヨーロッパに国ができ始めたころは、この城壁のなかがすべてひとつの街(国)だったところが多いです。

シタデルとも呼ばれますが、英語やフランス語では要塞を意味します。ここはシタデルとは呼ばれていませんでしたが、城を中心に壁で囲まれた中に街が作られていました。前に行ったコトルもそうでした。丘の上に大きな要塞がありましたが、旧市街はやはり壁に囲まれていました。

ウルツィニの街の中にあるビーチ

旧市街を歩いたら、そこから見えるビーチに行っていました。ここは全長12kmのビーチではありません。街のレストラン街の道路の前に、狭いビーチが広がっているというだけです。長さは500mもないのではないかしら?それでもホテルから歩いてすぐ行けるというので、たくさんの人が来ていました。

ビーチは茶色い砂浜。ニースのように砂利のビーチ―ではない分良いのかもしれませんが、決してきれいとは言えませんでした。それでもたくさんのパラソルが並べられており、所狭しと人があふれていました。海の中を見ると、誰かが捨てなようなビニール袋がクラゲのように見えました。とてもじゃないけど泳ぐ気はしませんね。

オーストラリアも街中は混雑するビーチがありますが、「芋の子洗うよう」には混雑していません。それに白い砂浜やゴミが落ちていない海水と、もっともっときれいです。ここまで来て泳ぐ気になれないのは、この混雑と汚さです。「わざわざオーストラリアから、お金を払って泳ぎに来るリゾート」ではありません。

人で混雑しているウルツィニのビーチ

といってもバルカン半島にはオーストラリアには長い歴史と文化があります。だから私は観光に来ています。あの旧市街のように興味引かれるものはたくさんありました。

アドリア海一と言われる全長12kmのビーチは見なかったけど、海外にはもっと長いビーチはたくさんあります。私の目的はビーチではないので、そろそろ宿に戻ることにしたいと思います。

カテゴリー: 世界一周 | タグ: | コメントを残す

2018世界一周の旅 その44「意外と歴史が古いウルツィニ」

モンテネグロのウルツィニに到着した私は、その日宿泊するアパート(民泊)に荷物をあずけ、部屋が用意できるまで観光することにしました。アドリア海に面するウルツィニは、最近リゾート地として人気があがっているようです。全長12kmの海岸線の端は、アルバニアとの国境になります。

泊っている宿から大通りを背に下っていくと、海の方へ行くと言われました。道路沿いにおしゃれなカフェやレストラン、そしてホテルが並んでいます。またリゾートに遊びに来たお客さんを目当てに、高価なブティックやジュエリーショップなどもありました。と言ってもクルーズ船やフェリーでたくさんお客さんが来る、コトルやバーなどに比べたらこじんまりとしています。

旧市街の入り口(入場料無料)

ウルツィニの歴史は古く、アドリア海でも最初に開けた街のひとつです。半島の先にはウルツィニ城があります。お城と言っても宮殿のような大きな建物はなく、外壁に囲まれた城塞と言った方が良いですね。その中に住居があり、以前はこの中に街が広がっていたと思われます。

その歴史は2500年以上あり、古代ギリシャ・ローマ時代に、イリュリア人がこの街を建設したと言われています。その後ベネチア帝国やオスマン帝国の支配下になったときに、何度も改築が行われたそうです。

旧市街から海を見下ろす

中世ウルツィニは海賊の基地になっていました。彼らはイタリアやダルマチアの裕福な街から、たくさんに人たちを拉致してきました。それは奴隷として売買するのではなく、囚人のように取り扱いました。彼らを人質にして家族や友人、または市の役人に身代金を要求しました。拉致された人たちが必ず連絡をとれるように、奴隷のように労役はさせなかったそうです。

細い通りの両側には2、3階建ての家がたくさんあります。現在でもこの家に住んでいる人はたくさんいますが、最近はホテルやレストランなどに作り替えるところが多いようですね。でもここに泊まるには車で来れないところも多いので注意してください。

周辺を歩いていると、ちょっとした迷路のようにもなっています。城壁の下、海辺の岩の上には、レストランがあったりして、散歩するのにとてもユニークなところでした。ひとりでなかったら、夕日を見に来るのも良いでしょうね。宿まで歩いて30分は掛かったので、夜には来ませんでしたが、旧市街に泊まって歴史を感じるのも良いと思いました。

城壁の下にレストランが、、

 

カテゴリー: 世界一周 | タグ: | コメントを残す

2018世界一周の旅 その43「知られざるリゾート地“ウルツィニ”(ウルチン)」

モンテネグロのウルツィニにはウルチンとも呼ばれています。モンテネグロにあるのでモンテネグロ語では「ウルツィ』ですが、アルバニア人が多いこともアルバニア語で「ウルチン」と呼ばれています。今回バルカン半島を旅行するにあたり、一番困ったのがこの地名の問題でした。ブログではみんなそれぞれ地元の人から聞いた地名で表記しているひともいますが、ウィキペディアの乗っているに地名はそれを使用しました。

全長12㎞というアドリア海では最長のビーチを有するウルツィニは、最近リゾート地としてだんだん人気がでてきているようです。日本ではクロアチアのドブロブニクが一番有名ですが、モンテネグロのリゾートに来る人は少ないですよね。前回尋ねたコトルもそうでしたが、知られざるリゾート地として、欧米から尋ねる人が増えています。

城壁の中にあるホテル

ターミナルを出るといつものように、bookingコムのアプリを頼り歩いていきます。街に中心地に出てら幹線道路をどんどん登っていきます。と言っても人口1万人ぐらいの街ですから、街の中心地はホテルやレストランが並ぶ、観光地をなしています。私が泊まるのはそんな幹線道路にはない民泊ですね。観光地にはホステルはないけど、民泊が増えたおかげで安く泊まれます。でも探すのが大変ですが。

脇道に入り荷物を捨てたくなるような急な坂道を上ると、ちょっと一息つきました。そして「このあたりだけど、、」と思っていても、いつものようにそれらしいサインもありません。それでもガラガラ、ゴロゴロと音がしていたせいか、2階のテラスから何やら叫んでいるおばさんがいました。私がアパートの名前を告げると「そうだ」のようにうなづいてくれました。

今日停まる民泊のようです。もちろん部屋はまだ用意できていませんが、とりあえず荷物を玄関に置いて、2階のチッキンへと上がっていきました。古いけどとってもきれいにしてあります。「コーヒー」と聞かれたので、「ありがとう」と答えると用意してくれました。

ウルツィニの市街地

おばさんは英語は話せないけど、少しだけドイツ語が話せるようです。以前ドイツ語圏で働いていたのかもしれません。またドイツ人は旅行好きなので、旧ユーゴスラビアではドイツを話せた年配の方は多いです。と言ってもふたりとも怪しいドイツ語なので、お互いに何とか相手の気持ちがわかるという程度でした。

おばさんはクレープも食べろと言います。朝食食べたばかりですが、何とか2枚だけたいらげました。荷物を預かってもらい、部屋が用意できる午後2時ごろまで、散歩に出かけることにしました。

カテゴリー: 世界一周 | タグ: | コメントを残す

2018世界一周の旅 その42「コソボからモンテネグロへ」

プリシュティナから何とか無事に夜行バスに乗ることができました。出発して1時間ほどすると沿道のレストランで30分ほど休憩しました。トイレストップを兼ねていたようです。この先いつトイレに行けるか分からないので、行っておいた方が安心です。そこで軽食を取ったり、夜食用の食べ物を買う人もいました。

同じ方向に行くのでしょうか?いくつものバスが次から次へと止まりました。言葉の通じない私は、バスを間違えないこと、乗り遅れないこと。ドライバーやコンダクターに顔を覚えてもらいます。出発する前に人数を確認する人は少ないです。周りの人が「ここの人来ていない」と言ってくれれば、置いて行けれることもないでしょうが、、。

そして2時半ごろ国境に到着しました。真夜中なので様子はあまり分かりませんが、コソボの出国審査はありませんでした。モンテネグロの入国審査は、国境の係員がパスポートを集めに来て「一括審査」バスから降りることもなく待ち時間も入れて45分ぐらいで終了しました。モンテネグロは2006年まで、セルビアとひとつの国でした。セルビアはコソボの独立を認めていませんが、モンテネグロは周辺では認めている国のひとです。

あとは目的地に着くまで就寝です。途中で起こされてので睡眠不足、まだ暗く「眠たいよ」と思っているうちに、予定よりの早くモンテネグロのウルツィニに到着してしまいました。

地図を見るとプリシュティナからウルツィニまで、アルバニア経由で来たのが一番早いですが、真夜中だったのでどこを経由してきたか分かりません。途中何処のターミナルにもたちよらない直行便でした。来たバスは今度は昼間なので、ポドゴリツァ経由でもどるようです。

バスターミナルは小さいのですが、たくさんの人で溢れています。私が到着した時にはすでに数台のバスがいましたが、そのあとにも数台がバスが到着しました。ほとんどのバスがコソボからのようです。プリシュティナからこんなにたくさんの人が来るのでしょうか?

ここに到着した人たちの中には、そのままバスを乗り継いて、移動する人も多かったです。その日のうちにクロアチアまで移動も可能でしたが、余裕を持ってその日はウルチンに泊まることにしました。次の街が良かったコトル。でも同じ町に二度は泊りたくありませんからね。

ホテルまで移動すると言っても朝の6時。とりあえずカフェがオープンするまで、このターミナル付近で過ごすことにしました。

横にはカフェ(朝はコーヒー飲み、昼や夜は食事やお酒もあるようです)がありましたが、ここはもっぱらタクシードライバーのたまり場。なかなかお客さんがこないので、椅子に掛けて待っていました。私はそんな彼らを写真に撮って遊びんでいました。

お客街をするタクシードライバー

カテゴリー: 世界一周 | タグ: | コメントを残す

2018世界一周の旅 その41「夜行バスが来なかったら?」

コソボの首都プリシュティナで最初を2泊予していた私ですが、体調も良くなったので、夜行バスで出発することにしました。しかし最初から2泊分払っておいて良かったです。ここに泊まるか、夜行バスか?最後のギリギリまで分かりませんでした。もし夕方まで悪かったら、多分そのまま泊まっていたでしょう。

夜行バスの出発は夜の11時でした。旅の後半でクロアチアのドブロブニクに行くかどうか迷っていたのですが、どんなに物価が高くても「バルカン半島一の観光地」を見逃すわけにはいきません。そこで旅の予定を変更しました。明日出発しても何とか日程をこなせますが、夜行バスで移動した方が日程に余裕がありました。

泊まったホステルの台所

私が泊まったホステルは街の中心にあり、近くの大通りにはバス会社がいくつもありました。そこで売り切れの所もありましたが、前日のバスを予約することができました。出発が夜の11時と言われたので、ホステルに2泊予約しておいて良かったです。夜の11時まで時間を潰すのは大変ですからね。

バス会社から予約したバスは、バスターミナルに行かなくても、そのバス会社の前まで来てくれます。安全のために夜10:30ごろにそこに行くと、すでにバスが数台停まっていました。「ラッキー、このままバスに乗れる」と思ったのですが、別の会社のバスでした。似たような名前のバス会社が多いのです。

プリシュティナからのった夜行バス

そのバスが出発すると、ほかのバスが来るけど、私のバス会社ではありません。そのうち11時過ぎて、ポツンと取り残されてしまいました。バス会社のオフィスによっては、バスが出発する時間に合わせて、スタッフが来るところもありました。オフィスの営業時間が終わっていても、出発時間に合わせてオープンしていました。

私のバス会社はなしのつぶてです。もしここでバスに置いていかれたら、どうするのでしょうか?電話も掛けられない、どうなりたいオフィスは閉まっている。11:15になってもバスは来ませんでした。しかし待つほかないですよね。もし真夜中まで待って来なかったら、ホステルに戻るつもりでした。

もうひとり男性がやってきました。どうやら同じバスを待っているようです。少し力強くなってきました。英語が話せそうなので、最悪の場合は電話してもらいましょう。やっと11:20頃バスは来ました。何かホッとしたけど、バスターミナルから出発する方が安心ですね。

カテゴリー: 世界一周 | タグ: | コメントを残す

2018世界一周の旅 その40「旅の途中に病気になると、、、」

ここ数年はアラスカで働く以外、3週間程度の旅行が多いです。ひとり旅なので病気には注意していますが、やはり体調不良や思わぬ病気になることがあります。

コソボの首都プリシュティナには2泊予定していましたが、途中スケジュールを変更したので、どうしても翌日は夜行バスに乗る予定でした。しかし朝起きてみると「体調不良」です。疲れているだけなら、寝ていれば元気になる可能性もありますが、「お腹の具合が悪い」これは薬を飲んで治すしかありませんでした。

朝オーナーを見つけると、お腹の具合が悪いことを伝えて、英語が通じる薬局を教えてくれるように頼みました。シドニーに住んでいるときも、たま~にこの症状が出るので、どんな薬を飲めば良いのか分かっています。病院に行って処方箋をもらわなくても、「薬局の薬」で治すことができます。

トイレットペーパーが切れていたので「買いに行くから」という理由で、彼女も付いてきてくれました。それは大きな薬局でしたが、若い女性の店員さんは英語が上手で、彼女の通訳が無くても会話することができました。症状を説明すると、「こんな薬が良いわ」と数日分の薬が入った箱を見せてくれました。

この症状はいつも数日で治るので、大きな箱はいりません。でも今日中に症状が回復するか?その晩の夜行バスに乗れるかどうかが問題でした。薬とちょっとしたエネルギードリンクを買い、彼女と別れました。

その後途中にあるパン屋さんで菓子パンと、スーパーでフルーツを買って戻りました。これから薬を飲んで、病気を治しすことが重要です。その日は観光することもなく、部屋でまったりとしていました。お陰で夜までには、体調も回復しました。

プリシュティナのフルーツ屋さん

カテゴリー: 世界一周 | タグ: | 4件のコメント