世界一周の旅 Part2

ユーロ―に両替を済ませ、パスポートを確認したら、私の旅の始まりです。今回はわずか2か月足らずの旅ですが、何だか以前よりも気軽に旅行に出れるようになりました。パスポートと携帯とクレジットカードさえあれば、何処へでも気軽に旅に出れます。

以前なら荷物をたくさん持っていたけれど、去年から荷物をなるべく少なくするようにしました。これから夏の国ですから、洋服もそれほどいりませんが、なければ現地で買うこともできるし、要らないものは最後に捨てるつもりで旅行します。

ここ10年ぐらい薄型のノートパソコンが一緒でしたが、今回から初めてタブレットを持つことにしました。もうノートパソコンに頼らずに、このタブレットだけで過ごすつもりです。と言っても買ったのがわずか一週間前なので、まだ使い方も良く分かりません。インターネットは問題なく利用できますが、ブログがちゃんとアップできるかが問題ですね。

必ず持って行っていたガイドブックも、今は持参しなくなりました。どのホテルでもインターネットがつながるので、すべての情報はネットで収集する予定です。インターネットの発達で、本当に便利になりましたね。すでにホテルも全部予約してあります。

今回は旧ユーゴスラビアの国々をめぐります。行程上、いくつか他の国も回りますが、新しい国が増えるのは嬉しいですね。どんな冒険が待っているかな?どんなめぐり逢いがあるかな?久しぶりのヨーロッパに興奮している私です。

アテネから始まる私の旅 by wiki

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ウサイン・ボルトがサッカープライヤーに!

ウサイン・ボルトと言えば、世界中の人が知っている陸上選手ですね。北京、ロンドン、ロスのオリンピックで100m、200m、そして4x100mリレーで優勝して、合計8個の金メダルを獲得しました。

早いだけではありません。ちょっとおどけたキャラクターのせいか、陸上選手というだけでなく、誰からも愛されています。

オーストラリアではコマーシャルにもでていますが、陸上競技から引退した現在は、このような収入だけで、現役サラーリマンの何十年倍も稼いでいます。やはり世界のトップになると強いです。

現役を引退すると、その後「鬱なる選手」も多いです。特にトップを極めた人ほど、現役中に全部のエネルギーを燃やしたせいか、その後何をしてよいのか迷うのかもしれません。

ボルトは小さいころはサッカー少年でした。もし陸上選手にならなかったら、サッカーをやりたかったそうです。その夢をかなえるために、ドイツやノールウェーでプロテストを受けたそうですが、ヨーロッパのサッカーの壁は、トップクラスの陸上選手でも破ることはできませんでした。

しかしまだ夢をあきらめることはできないようで、ヨーロッパよりもレベルの低いオーストラリアで挑戦することになりました。

オーストラリアフットボールAリーグのいくつかのクラブからオッファーがありましたが、セントラルコーストのマリナーズでトライアルを受けることが確定しました。

トライアルの期間は6週間。来月からマリナーズの地元で他の選手と一緒にトレーニングを受け、もしサッカー選手としてプレイできそうなら、来シーズンから選手として活躍するかもしれません。

日本の選手がシドニーのクラブで活躍した時は、日本からもファンがやってきましたが、ボルトとなれば、それだけでも話題になります。世界中からボルトを見に、たくさんの人たちがやってくるかもしれません。

トライアルが終わらないと確定しませんが、是非オーストラリアで第二のスポーツ人生を活躍して欲しいです。

このポーズがシドニーで見れるかも? by ABC News

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冷え込んだシドニーでオーストラリア初霜体験!!

日本で猛暑が続いているようですね。南半球は今が冬、オーストラリア東海岸は寒い朝を迎えています。日中の気温は平年並みに20度近くまで上がるのですが、晴天が続いているせいか、早朝はグ~ンと冷え込みます。

今朝は6時半出勤。家を5時半には出なければなりません。布団から出るとキーンと寒さを感じましたが、それでも気合を入れて出勤の支度、そしてドアを開けると冷たい空気に包まれました。

白く見えるのが霜です

 

車に乗ろうとしたら、車の屋根が街灯でキラキラと輝いていました。まるで宝石でも見ているようでした。カナダに暮らしていたので、それが「霜」だと直ぐにわかりました。小さいころは故郷で冬になると毎日霜を見ていたけど、、。今日は出勤が早かったこともあり、オーストラリアに来て初めて「霜」を体験しました。

シドニー近郊では、ブルーマウンテンのふもとにある、リッチモンドあたりが一番冷え込みます。NSW州の内陸部では氷点下9度まで下がったところもあるそうです。シドニー近郊はそこまで下がりませんでしたが、氷点下まで下がったのは確かです。

今朝の気温@NSW州

オーストラリアに暮らして30年。ガイドをしていた頃は、4時ごろに起きるのも日常で、朝6時~7時には、ホテルや空港に待機していました。それでも霜をみたことはないですね。

車のエンジンをかけても、霜で前が見えないので運転できません。霜取りをかけてしばらくエンジンをかけたままにしました。それに車内を暖めたいし、、。ちょっと溶けだしたので、手袋(今朝はあまりにも手が冷たかったので、アラスカで使用していた手袋をだして)で拭くと、霜がかき氷のようにたまりました。

カナダにいた時は、エンジンをかけたまま、ヘラのようなものでフロントガラスの霜を削っていました。何だか懐かしいような、でもこんな体験はシドニーでは初めてです。本当に寒くてしばれましたが、暖房の効いた車の中は最高です。だからもう電車通勤はできません。

 

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旧ユーゴスラビアの旅

今年はアラスカに行く前に、ヨーロッパ旅行をすることにしました。今年は初めてヨーロッパに行ってから40周年という記念の年。私にとって旅行の原点「ヨーロッパ」に戻ることにしました。

ヨーロッパの国々は殆ど訪問していますが、1990年代にソビエト連邦が崩壊してから、たくさんの国々が独立しました。以前東欧と呼ばれていた国が、今では中欧と呼ばれるようになったのです。1980年代は東欧を旅行するのに「ビザ」が必要でした。そのビザを取るのも大変だったけど、費用も結構掛かりましたね。

そんな時代に観光ビザなしで、簡単に行ける社会主義の国がありました。ユーゴスラビアです。ヨーロッパの国々に労働者を送る代わりに、観光客に来てもらいたがっていたようです。そのころからアドリア海に面したドゥブロブニクは、イタリアに負けない観光地で、ドイツ人が避寒に来ていました。

1990年ユーゴスラビアで自由選挙が認められると、それぞれの民族意識が高まり、民族ごとに独立していきます。しかしその独立は簡単なものではなく、民族間で血を流しあう紛争でした。

ニュースで紛争の話は聞くけど、その奥には長い争いの歴史があります。ヨーロッパから見たら韓国人と日本人は同じ民族に見えるように、私たちにはバルカン半島に住む人たちは、「スラブ民族」として同じにしか見えません。以前ベオグラードには行ったことがありますが、分裂した国々を尋ねれば、その違いを肌で感じることができるでしょうか?

去年アイスランドとアイルランドに行き、新しい訪問国が増えました。この二つの国は先進国で英語も通じるので、オーストラリアやアメリカにいるのと同じ快適さでした。おかげで海外旅行をしている気もしませんでした。

旧ユーゴスラビアの国は、英語もなかなか通じません。ましてやユーロ―でない国もあるようです。観光ビザはいらないようですが、原点に戻って「バックパッカーの旅」を楽しみます。

アドリア海の真珠「ドゥブロヴニク」

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お父さん熊本へ

私が次の旅の計画を立てている間、お父さんは暑い日本旅行を楽しんでいます。私と違って一年に一度は日本に行っていますが、そのたびに日本を北から南へと旅行して、友人たちと会うのを楽しみにしています。

今までに何度か一緒に旅行したことがありますが、日本は一緒に行ったことがありません。私が最近は日本に行かないこともありますが、共通の友達が殆どいないので、一緒に行っても楽しくありません。それぞれお互いに別々に訪問するの方が、束縛されずに楽しいです。

長いこと一緒にシェアーしていますが、私がお父さんの家族を尋ねたことはありません。お母さんと妹さんにはお会いしたことがありますが、わざわざ訪ねていくほどの関係ではありません。

私は兄弟や親せきが多いので、家族の話をしていても、誰がどうなのか分からないようです。今回お父さんが持っているアパートを、私の姪の息子が借りることになりました。そして私の姉がその保護者になっているため、今回東京で会うことになりました。

九州に行く用事があるというので、「熊本に行ってみる?」と話したら、私がいつも話している「故郷」を尋ねることになりました。甥夫婦が新婚旅行で来た時に、一緒に食事したことがありますが、それ以外は誰とも会ったことはありません。それでもインターネットの普及で、携帯で顔を見ながら話したことがあります。

そしてお父さんはついに、私の故郷に一人で乗り込みました。オーストラリアで買ったチョコレートをお土産に持たせ、空港が送るように伝えました。「これが実家に滞在中の食事代」です。どんなおもてなしをしてもらえるか分かりませんが、お土産を持たせておけば安心ですからね。

甥が市内まで迎えに来てくれて、その日は近くに住む姉夫婦も遊びに来て賑わったようです。その姉の孫がアパートを借りているので「大家さん」として挨拶に来たようです。何と言っても姉は孫に甘いですから。

皆熊本弁で話しまくっているので、「通訳がいらないか?」と心配しましたが、何とか二日間を乗り切ったようです。翌日は以前から見たかった通潤橋や目鑑橋を見に、兄が連れて行ってくれたようです。家族は皆土木関連の仕事をしていますが、ちょうど仕事の合間でよかったです。

最後の日は、嫁に行った兄の娘たちも遊びに来てくれたそうですが、皆にはどんな風に映ったのでしょうね。あまり人のことを鑑賞しませんが、これからしばらくは話題に事欠かないようです。多分これからも一緒に訪問することはないと思いますが、ほかの国なら行ってもいいかな?

私の家族とお父さん

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どうする、免許証不携帯!!

先週までリッチモンドに仕事に行っていました。我が家から職場まで片道60km以上。途中から高速並みの時速70~80kmで走れる道路もありますが、信号機もたくさんあるし、渋滞で混雑する時間帯もあるので、片道1時間半は軽くかかります。

あの「アリに襲われた事件」の数日後のことです。仕事が終わったのが午後8時。くたくたにくたびれているけど、これから1時間運転しなければなりません。その時間帯ならほとんど渋滞がないので、車を飛ばすことができます。それでも疲れた体で夜道を運転すると、マイクロスリープに陥り、ハッとしてしまうときもあります。

リッチモンドの街の中を抜け、ウィンザーロード(中央分離帯がある片道2車線の幹線道路)に入り、「これから車を飛ばせるぞ!!」と思いながら、5分ほど走った時のことでした。前方にパトカーが1台停まっているのが見えました。事故でもあったのかなと思って近づくと、突然「STOP」のサインが見えました。

そうです、週末に良く行われるRBTです。RBTとは「ランダムブレステスト」、要は飲酒検問です。オーストラリアでは酒気帯びだけでは飲酒運転として逮捕されません。アルコール検査をしてその濃度が0.05%以上になると「飲酒運転」となり、その場で車から降ろされます。

私は仕事の後なので「もちろんお酒は飲んでいません」、警官に止められても問題ありません。ストップサインの警官に止められたのは私だけでした。後ろから来た車はバンバン追い越していきます。RBT担当の警官に「免許証」と言われ、財布を開くと、「無い、ナイ、ない!!!」いつもそこに入れているはずの運転免許証がありませんでした。

財布の中も、バッグの中も、そしてダッシュボートから椅子の横まで、車中を探しましたが免許証がありません。それよりも最後に見たのがいつのことか思い出せません。警官に「いつも財布の中に入れているけど、見つからないの。」と今にも泣きだしそうな声で言い訳していました。私が免許証の番号を伝えて、身分証明のための保険証を見せると、警官はパトカーに戻っていきました。

飲酒運転はしていないけど、「免許証不携帯で罰金?」というのが頭の中をかすめました。「もし車を運転できないとよ、ここで降りなさい。」と言われたら、家まで50km近くどうやって戻っていいのか分かりません。その場所は駅からも遠く、その日は線路補修のために、電車は運行していませんでした。その日は遅番のシフトでしたが、翌日は早番朝の6時半からの出勤でした。我が家からここまで、車なしで6時半に来ることはできません。

警官が戻ってきたので、「免許証は確認できましたか?ところで罰金になるのでしょうか?」と尋ねると、「罪を犯していないので取り締まらないけど、早く免許証を見つけた方が良いよ」と言われました。「さあ家に戻って見つからなかったらどうするのかな?明日は日曜日で更新にも行けないし、、、」それから家に帰るまで、気が気で運転に集中できませんでした。

家に戻って別のバッグを見たら、なんと私の免許証。あった時には本当にうれしかったです。今月に入って、財布を落としたり、アリに襲われたり、免許証不携帯で運転していたりと、何だか落ち着かない事件が続いています。念のために免許証不携帯に関する罰金はNSW州ではようです。

Facebook RBTより

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「Ask for Angela」キャンペーン@オーストラリア

去年10月ハリウッドの映画プロデューサー「ハーヴィー・ワインスタイン」をニューヨークタイムズがセクハラで告発すると、ソーシャルネットワーキングサービスで「#metoo」運動が活発となり、映画界のみならず世界中を大きな渦の中へと巻き込みました。

1980年代だったら。「良い役を得るために」自分の体を売り込んだ女性も多かったと思います。それが「女性の武器」と思われていました。まだまだ泣き寝入りをすることもあると思いますが、それでも声に出して言えるようになったことは、女性にとっては嬉しい時代の到来です。

しかしセクハラや暴力を受けている女性は、ハリウッドだけではありません。職場や家庭で、そしてレストランやバーで恋人からまたは見知らぬ人から受けることもあります。そんな女性を守るために、「Ask for Angela」キャンペーンがオーストラリアでも始まりました。

もしあなたが身に危険を感じたら、レストランやバーのスタッフに「Ask for Angela(アンジェラとお話ししたのですが、、、)」というと、そこで働いているスタッフは、マネジャーに「Ask for Angela」と伝えなければなりません。

特別の訓練を受けたマネージャーは、指示に従って、あなたが「危険な状態にいることを」警察に通報しなければなりません。

このキャンペーンは、オーストラリアではまだ始まったばかりですが、先進のイギリスを見習って、大きな動きになることを願っています。と言っても海外からの移民の多いオーストラリアですが、どのレストランやバーでも、この動きをスタッフが理解できるように訓練するのが大切です。

オーストラリアではお酒を提供しているレストランやバーで働くスタッフは「RSA」のトレーニングを受けなければなりません。それでも韓国レストランで、酔っぱらった女性のお客さんを、道路に放り出すという事件がありました。

酔っぱらうまでお酒を提供することは禁じられていますが、ましてや酔っぱらったお客さんの介護もせずに、道路に放」り出すというのは無責任ですよね。その結果2000万円近い罰金となりましたが、もう一回同じような罪を犯すと、お酒を提供できるライセンスが取り上げになります。

さあこの運動、オーストラリアに定着するのにどれぐらいかかるでしょうか?安心して「Ask for Angela」できるかしら?

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