2018年世界一周の旅 その1「リベンジ旅行に出るぞ!!」

私はラッキーなことに、2017年と2018年に「世界一周旅行」をすることができました。「世界一周」と言うと、「豪華なホテルに滞在する旅行」と思われる方もいるでしょうね。私をご存知の方は想像きますね、いつもの「貧乏旅行」です。どうせ旅費(航空券)を払うなら、それを有効に使いたいというのが目的でした。

アラスカには何度も仕事で行ったことがありますが、2017年はアンカレッジで「日本語ガイド」として採用されました。短期の仕事ですが、その後何処を旅行しようか考えました。以前から気になっていたのが、「まだヨーロッパで行ったことのない国」というので、アイスランドとアイルランドをルートに入れ、その後旧ユーゴスラビアの国々を回るつもりでいました。

私がアラスカを出発するのと同じころ、相棒も「ヒマラヤトレッキング旅行」に出発する予定でした。ところが私がアイスランドとアイルランド旅行中に「入院」しました。病名は「くも膜下出血」、知らない間に手術をして、病院のベッドで、「ひとりでトイレに行けない!!」とうなっていたそうです。

この間電話で連絡が取れなかったので、私は楽しい旅行を続けていました。ヒマラヤにいると思っていたので、メールも期待していなければ、こちらから電話を掛けるつもりもありません。ドイツに入ると友人から連絡が入り、相棒が入院していることを知らされました。

電話でやっと連絡がついたのは、手術後数日してからでした。相棒と話すと、「手術は無事に終わったけど、まだひとりではご飯も食べれない。もうしばらくは入院」という話でした。リハビリが必要なら、私がシドニーに戻っても何の助けにもなりません。「リハビリ専門病院で、リハビリが終わってから戻ってきてね。」

私よりも大きな病人を、ひとりで世話できるはずもありません。病人介護何て「綺麗ごと」ではできません。それでも、「旅行を続けるか、シドニーに行くか」で悩みました。

「即、帰るべきよ」と普通の人は思うでしょうね。でも私にとってヨーロッパは20年ぶり、友人たちと再会して、とっても楽しんでおりました。2か月後には日本に行く予定もあったので、それまで旅行を続けるつもりでいました。それにヨーロッパからシドニー行の航空券は、「シドニーが夏、片道」ということもあって、「とっても高かった」です。

でも何とか安いチケット(片道で10万円は払ったけど、、、)を見つけて、シドニーに戻りました。相棒に恩を売っておくのも良いでしょう。シドニーに戻ってみると、相棒はもうひとりで歩けるほど回復していました。リハビリに行かなくて済んだ分、私も助かりましたが、「これなら旅行続けていた方がよかったわ。むっ!むっ!むっ!」その時すぐに「2018年はリベンジ旅行」決めていました。

「ヨーロッパ全国制覇」が、旅行を始めた時からの夢でした。旧ユーゴスラビアには二度行っていますが、崩壊してからは行っていません。以前から旅行者に人気のあった「クロアチア」、紛争で話題になった「コソボ」や「ボスニア・ヘルツェゴビナ」など、一度はこの目で確認したかったのと、訪問国を増やすために旅に出ます。そして私がヨーロッパ旅行をしていたころは、まだ鎖国していた「アルバニア」とみる所もたくさんありますからね。

シドニーからLCCがヨーロッパにも飛んでいます。お陰で安く飛べるようになりました。前回旅行したルートと反対周り、シドニー~ヨーロッパ~アラスカ~シドニーでルート決定です。アラスカで仕事をするから、往復の航空券は必要です。「その金額を払うなら、その費用を最大限に活かしたい。」「新しい国を増やしたい」それにヨーロッパなら「肩の荷も軽く」旅行できます。

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謹賀新年 2019年の目標

明けましておめでとうございます。

すっかりご無沙汰多してしまったこのブログですが、私はまだ生きています。今年が始まって、まだ何をしようか計画を立てていませんが、今年もアラスカ行けるどうかが楽しみです。仕事をアプライしないと仕事はやってきませんが、まだ何をしようか決まっていません。今年はゆっくり旅行しようかと思ったり、前半は仕事をして、後半を旅行するか?自分でもはっきり分かりません。

2017年と2018年は、短いながらも、久しぶりに旅行ができました。長いこと新しい訪問国が増えていなかった私。「何歳までに何カ国行く」という目標があったのに、過去10年は、アメリカとオーストラリアを行ったり来たり、お陰で新しい国は増えませんでしたね。2年続いて旅行したので、「訪問国120国」を達成することができました。

これから毎年、少しづつでも良いから、新しい国を増したいと思っています。今年は新しい国が増えるかどうかまだ未定です。。出来たら中央アジアかコーカサスが次の夢です。アメリカに行ったら、キューバやバハマも行くチャンスはあるかな?そして南米とか、まだ行っていない国はたくさんあります。

でも旅行する前に、大きな忘れ物が残っていました。2017年と2018年の旅行記を書いていませんでした。今年の旅行を始める前に、2年分の旅行記を書いておこうと思います。

別ブログ「地球ワーキングトラベラー見聞記」は、このブログより先に始めました。すでに9年の歳月が流れました。1978年に旅行を始めた時からのことを書いていますが、やっと2014年まで書きました。まだ4年分ありますね、でも旅行しないと旅行記が書けません。

最近はもっぱらアラスカのことばかり、このブログのタイトルを取られています。アラスカは何だか書くことが多くて、書こうと思うと、あと2~3年は書けそうです。というのも、普通の旅行記と違って、アラスカのことをいろいろ紹介しています。記事のネタはどこからでも持ってくることが出来ます。

今年もアラスカに戻れるかどうか分かりませんが、このブログのタイトルのように、アラスカで働くのが好きな私です。「7か月も冬のアラスカ」に住む気力はありません。

 

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ハリー王子とメーガン妃オーストラリア訪問

ただいまオーストラリアには「ロイヤル旋風 ハリー&メーガンフィーバー」が吹き荒れています。サセックス侯爵ヘンリー王子とメーガン妃というのが正式名称になるようですが、ここでは愛称でいつもハリーと呼ばれています。今回のオーストラリア訪問の目的は、ハリー王子が発起人として始まった「インビクタスゲームズ」に出席するためです。

 2012年アメリカで開催されていた、「ウォーリアーゲームズ」を観戦したハリーは、傷病兵のために同様のスポーツイベントを英国でも開催するべく発起人となったのが、「インビクタスゲームズ」の始まりです。第一回は2014年にロンドンで開催され、第二回が2016年のオーランド、翌年トロントで第三回目が開催され、今年シドニーで第四回目の開催となります。

ハリー王子とメーガン妃

10月20日から27日まで一週間に渡り、世界18か国から500人が参加します。参加するには協会からの招待状が必要ですが、日本に招待状が来ることはないかな?オリンピックパークがメイン会場になります。残念ながら別の仕事が入っており、この関連の仕事をする機会はないようです。

 小さいころからやんちゃなハリーは、オーストラリアに何度も来ていますが、いつも国民の人気者です。何処に行っても、その存在を近くで感じることができる「気さくな王子」です。今回は結婚して初めての訪問ということで、5月に挙式が行われてから皆さん楽しみにしていました。

テレビではおなじみのメーガン・マークルもハリー夫人として訪問するのは初めて、彼女のファッションも注目されています。専属スタイリストも同行していますが、全部で16日間の滞在中に76もの公式な予定が入っています。この間同じ服は二度は着ないそうです。その予定に合わせて洋服を選ぶのでしょうが、なるべく訪問先のデザイナーの服を着るようにしているそうですよ。農場訪問もあったダボーを訪れた際は、友人のセリーナ・ウィリアムズがデザインしたブレザーを着ましたが、黒いデニムのジーンズを履いていました。

ハリー王子とメーガン妃‘@ダボー

 アウトランドデニム社の製品はカンボジアで作られていますが、人身売買などの被害にあわないよう貧しい女性たちを救うために、裁縫の技術を教えて生産されています。デザイナー自身が「どのようにして、この服が選ばれたのか知らなかった」とテレビのインタビューに答えていました。

 オーストラリアに到着した翌日に、「メーガンの懐妊」が報じられました。来年の4月にはパパ・ママになります。今年生まれたルイのいとこになりますが、ピッパにも男子が誕生したばかりで、周りにはお友達がたくさんになります。ハリーの行くところ いつも何かしらの物語が生まれます。ダボーの5歳の男の子は、一夜にして世界中に知られましたが、それもハリーだから出来たのでしょうね。いつまでもそのままのハリーでいて欲しいです。

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世界一周の旅 Part2

ユーロ―に両替を済ませ、パスポートを確認したら、私の旅の始まりです。今回はわずか2か月足らずの旅ですが、何だか以前よりも気軽に旅行に出れるようになりました。パスポートと携帯とクレジットカードさえあれば、何処へでも気軽に旅に出れます。

以前なら荷物をたくさん持っていたけれど、去年から荷物をなるべく少なくするようにしました。これから夏の国ですから、洋服もそれほどいりませんが、なければ現地で買うこともできるし、要らないものは最後に捨てるつもりで旅行します。

ここ10年ぐらい薄型のノートパソコンが一緒でしたが、今回から初めてタブレットを持つことにしました。もうノートパソコンに頼らずに、このタブレットだけで過ごすつもりです。と言っても買ったのがわずか一週間前なので、まだ使い方も良く分かりません。インターネットは問題なく利用できますが、ブログがちゃんとアップできるかが問題ですね。

必ず持って行っていたガイドブックも、今は持参しなくなりました。どのホテルでもインターネットがつながるので、すべての情報はネットで収集する予定です。インターネットの発達で、本当に便利になりましたね。すでにホテルも全部予約してあります。

今回は旧ユーゴスラビアの国々をめぐります。行程上、いくつか他の国も回りますが、新しい国が増えるのは嬉しいですね。どんな冒険が待っているかな?どんなめぐり逢いがあるかな?久しぶりのヨーロッパに興奮している私です。

アテネから始まる私の旅 by wiki

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ウサイン・ボルトがサッカープライヤーに!

ウサイン・ボルトと言えば、世界中の人が知っている陸上選手ですね。北京、ロンドン、ロスのオリンピックで100m、200m、そして4x100mリレーで優勝して、合計8個の金メダルを獲得しました。

早いだけではありません。ちょっとおどけたキャラクターのせいか、陸上選手というだけでなく、誰からも愛されています。

オーストラリアではコマーシャルにもでていますが、陸上競技から引退した現在は、このような収入だけで、現役サラーリマンの何十年倍も稼いでいます。やはり世界のトップになると強いです。

現役を引退すると、その後「鬱なる選手」も多いです。特にトップを極めた人ほど、現役中に全部のエネルギーを燃やしたせいか、その後何をしてよいのか迷うのかもしれません。

ボルトは小さいころはサッカー少年でした。もし陸上選手にならなかったら、サッカーをやりたかったそうです。その夢をかなえるために、ドイツやノールウェーでプロテストを受けたそうですが、ヨーロッパのサッカーの壁は、トップクラスの陸上選手でも破ることはできませんでした。

しかしまだ夢をあきらめることはできないようで、ヨーロッパよりもレベルの低いオーストラリアで挑戦することになりました。

オーストラリアフットボールAリーグのいくつかのクラブからオッファーがありましたが、セントラルコーストのマリナーズでトライアルを受けることが確定しました。

トライアルの期間は6週間。来月からマリナーズの地元で他の選手と一緒にトレーニングを受け、もしサッカー選手としてプレイできそうなら、来シーズンから選手として活躍するかもしれません。

日本の選手がシドニーのクラブで活躍した時は、日本からもファンがやってきましたが、ボルトとなれば、それだけでも話題になります。世界中からボルトを見に、たくさんの人たちがやってくるかもしれません。

トライアルが終わらないと確定しませんが、是非オーストラリアで第二のスポーツ人生を活躍して欲しいです。

このポーズがシドニーで見れるかも? by ABC News

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冷え込んだシドニーでオーストラリア初霜体験!!

日本で猛暑が続いているようですね。南半球は今が冬、オーストラリア東海岸は寒い朝を迎えています。日中の気温は平年並みに20度近くまで上がるのですが、晴天が続いているせいか、早朝はグ~ンと冷え込みます。

今朝は6時半出勤。家を5時半には出なければなりません。布団から出るとキーンと寒さを感じましたが、それでも気合を入れて出勤の支度、そしてドアを開けると冷たい空気に包まれました。

白く見えるのが霜です

 

車に乗ろうとしたら、車の屋根が街灯でキラキラと輝いていました。まるで宝石でも見ているようでした。カナダに暮らしていたので、それが「霜」だと直ぐにわかりました。小さいころは故郷で冬になると毎日霜を見ていたけど、、。今日は出勤が早かったこともあり、オーストラリアに来て初めて「霜」を体験しました。

シドニー近郊では、ブルーマウンテンのふもとにある、リッチモンドあたりが一番冷え込みます。NSW州の内陸部では氷点下9度まで下がったところもあるそうです。シドニー近郊はそこまで下がりませんでしたが、氷点下まで下がったのは確かです。

今朝の気温@NSW州

オーストラリアに暮らして30年。ガイドをしていた頃は、4時ごろに起きるのも日常で、朝6時~7時には、ホテルや空港に待機していました。それでも霜をみたことはないですね。

車のエンジンをかけても、霜で前が見えないので運転できません。霜取りをかけてしばらくエンジンをかけたままにしました。それに車内を暖めたいし、、。ちょっと溶けだしたので、手袋(今朝はあまりにも手が冷たかったので、アラスカで使用していた手袋をだして)で拭くと、霜がかき氷のようにたまりました。

カナダにいた時は、エンジンをかけたまま、ヘラのようなものでフロントガラスの霜を削っていました。何だか懐かしいような、でもこんな体験はシドニーでは初めてです。本当に寒くてしばれましたが、暖房の効いた車の中は最高です。だからもう電車通勤はできません。

 

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旧ユーゴスラビアの旅

今年はアラスカに行く前に、ヨーロッパ旅行をすることにしました。今年は初めてヨーロッパに行ってから40周年という記念の年。私にとって旅行の原点「ヨーロッパ」に戻ることにしました。

ヨーロッパの国々は殆ど訪問していますが、1990年代にソビエト連邦が崩壊してから、たくさんの国々が独立しました。以前東欧と呼ばれていた国が、今では中欧と呼ばれるようになったのです。1980年代は東欧を旅行するのに「ビザ」が必要でした。そのビザを取るのも大変だったけど、費用も結構掛かりましたね。

そんな時代に観光ビザなしで、簡単に行ける社会主義の国がありました。ユーゴスラビアです。ヨーロッパの国々に労働者を送る代わりに、観光客に来てもらいたがっていたようです。そのころからアドリア海に面したドゥブロブニクは、イタリアに負けない観光地で、ドイツ人が避寒に来ていました。

1990年ユーゴスラビアで自由選挙が認められると、それぞれの民族意識が高まり、民族ごとに独立していきます。しかしその独立は簡単なものではなく、民族間で血を流しあう紛争でした。

ニュースで紛争の話は聞くけど、その奥には長い争いの歴史があります。ヨーロッパから見たら韓国人と日本人は同じ民族に見えるように、私たちにはバルカン半島に住む人たちは、「スラブ民族」として同じにしか見えません。以前ベオグラードには行ったことがありますが、分裂した国々を尋ねれば、その違いを肌で感じることができるでしょうか?

去年アイスランドとアイルランドに行き、新しい訪問国が増えました。この二つの国は先進国で英語も通じるので、オーストラリアやアメリカにいるのと同じ快適さでした。おかげで海外旅行をしている気もしませんでした。

旧ユーゴスラビアの国は、英語もなかなか通じません。ましてやユーロ―でない国もあるようです。観光ビザはいらないようですが、原点に戻って「バックパッカーの旅」を楽しみます。

アドリア海の真珠「ドゥブロヴニク」

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