2018世界一周の旅 その47「アドリア海の真珠ドブロブニクへ」

アドリア海の真珠と言われるドブロブニクは、今日本人に最も「旅行したい場所」のひとつになっています。旧ユーゴスラビア時代には、それほど人気がなかった観光地かもしれませんが、ヨーロッパ人にとっては1970年代ごろから冬の避寒地として人気がありました。

それは私がドイツで初めての旅行を計画していたころ、12月の旅行に何処に行こうかパンフレットを集めていた時です。ドイツ人にとってその頃の避寒地と言えば、アテネ(ギリシャ)、イスタンブール(トルコ)、チュニス(チュニジア)、グランカナリア(スペイン)などがありました。もちろんニースやスペイン、ポルトガル、イタリヤやモロッコも人気がありましたよ。

その頃から赤い屋根のドブロブニクは、私の心を魅了をしていました。旧ユーゴスラビア時代、ここまで足を伸びさなかったのか残念ですが、あの頃は地方都市を訪ねるよりも、ヨーロッパの各国の首都を訪ねるだけで精いっぱいでした。

ドブロブニクの市街地

そして旧ユーゴスラビアが分裂すると、セルビアは各国と戦争をしました。1991年から95年にかけての「クロアチア紛争」では、たくさんの死傷者もでましたが、観光地が多いクロアチアとしては大変な観光収入が激減してしまいました。

クロアチアの独立問題は「東欧革命」の波にのって押し寄せたわけではありません。9世紀にはすでにローマ教皇より独立国として認められていました。その後ハンガリー帝国やオスマン帝国に支配されますが、第一次世界大戦後に一度クロアチア共和国として独立した後、1945年正式にユーゴスラビア内のクロアチア人民共和国になりました。

ヨーロッパは国境が接しているので、過去2000年の間にこのように何度も支配が変わりました。そして現在の国境線とはそのたびに国境線もことなりました。

ドブロブニクの住宅街

ローマンカトリック教の信者が多いクロアチアは、独立後ユーゴスラビア時代に使用していたキリル文字を止め、ラテン語を使用することになりました。当時はセルビア・クロアチア語と呼ばれていましたが、現在はクロアチア語と呼んでいますが、しかしセルビア語と殆ど変わりはないそうです。

セルビアはセルビア正教会。同じキリスト教徒でこれほど憎みあうのですから、ましてやオスマン帝国の長い支配下にあったバルカン半島。モスリムの信者もたくさんいます。民族だけでなく宗教による諍いも絶え間なく続いていました。

平和になって20年以上。私はやっとアドリア海の真珠と呼ばれる「ドブロブニク」に来ることができました。この街に到着するとき、道路から見た市街は、本当に美しかったです。

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