2018世界一周の旅 その32「国の名前が変わったマケドニア」

マケドニアと言えば、現在は旧ユーゴスラビアから分裂したマケドニア共和国を思い出す方が多いと思いますが、ギリシャにもマケドニアと呼ばれる地方があります。そのため長い間、ギリシャとマケドニア共和国の間で、名称問題が発生していました。

マケドニア王国は紀元前7世紀ころにギリシャ人によって建設されたそうです。当時は現在のマケドニア共和国、ギリシャのマケドニア地方や、コソボ・ブルガリアの一部も含まれていたそうです。ギリシャ寄りでしたが、フィリッポス2世はマケドニアを強国に作り替え、カイロネイアの戦いで勝ち、コリントス同盟の盟主となり、ギリシャの覇権を握りました。

アレクサンドロス3世の銅像

その後アレクサンドロス大王3世によって、現在のペルシア、エジプト方面まで国を拡大しました。しかし紀元前323年に彼が急逝すると、国はマケドニア、シリア、エジプトに分裂しました。その後ローマ帝国と4回の戦争をして、紀元前148年にローマの属州となりました。

その後は、イスタンブールを首都とする東ローマ帝国(またビザンチン帝国)の一部となりました。しかし領土は拡大・紛失を繰り返し、時には滅亡そして復興と時代によって変遷していきました。そして1453年オスマン帝国によって滅亡するまで続きました。

オスマン帝国の支配は1912年まで、1913年以降のバルカン戦争によってセルビア、ギリシャ、ユーゴスラビア分割され、1991年セルビアに分割された分が、ユーゴスラビアから独立した際に、マケドニア共和国となりました。

マケドニアのお土産さん

しかし古代マケドニア王国がギリシャ人によって建国されたこと。その土地の半分以上がギリシャの国土内にあること、さらにその時の王都がギリシャ領にあることなどの理由から、ギリシャはマケドニアという名称は「ギリシャに属する」と主張してきました。ギリシャによるマケドニア共和国への制裁のみならず、NATOやEU加盟にも反対してきました。

しかし去年の6月2か国の首相が話し合い、マケドニアが名称を変更することで合意しました。それぞれの議会の了承などを取り付けて、今年の2月12日から新国名「北マケドニア共和国」として発足しました。私がもう一度この国に行ったら、新しい国として数えることができるのでしょうか?

そういえば私たちが学校で習ったのは英語読みの「アレキサンダー大王」でしたが、最近はその国の言葉で呼ぶようになったそうです。そのおかげで「アレキサンドロス大王」になりました。

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