有名な親の元に生まれて『ボビー・クリスティナー・ブラウン』の死に思うこと。

私の大好きだった歌手に『ホイットニー・ヒューストン』がいます。2012年2月11日、ビバリーヒルトンで倒れて亡くなってしまいました。

私が世界で一番好きな場所にカナディアンロッキーがありますが、ガイドをしていた頃、彼女の歌を聴きながら通勤していました。バンフからレイクルイーズに向かう時、ロッキー山脈の自然と彼女の歌がマッチして、忘れられないシンガーになりました。

1992年出演した映画『ボディーガード』はサウンドトラック版とともに大ヒット。この絶頂期に歌手ボビー・ブラウンと結婚、翌年にひとり娘ボビーを出産しました。人生で一番幸せな頃なのに、歌手としての人気は低迷します。

しかし彼女を忘れられない人は多く、2008年のワールドツアーでは『歌姫の復活』に期待したファンも多かったですね。そして2012年に亡くなっても、彼女の残した音楽を楽しむ人は多いです。

ホイットニーが亡くなったとき、まだティーンエイジだったボビー。小さい時から有名な両親の元で、いつもパパラッチに囲まれながら暮らしていました。二人は結婚している間、幸せな話題よりもドラッグ問題や家庭内暴力問題で週刊誌やテレビで賑わしていました。経済的にはとても裕福な家庭だったでしょうが、ホビーは幸せだったのでしょうか。

両親が離婚した時が14歳。それからホイットニーが亡くなるまで、一番落ち着いた生活ができたのかもしれません。しかしもうすぐ19歳になろうとするとき、母親が亡くなってしまったら、ひとりの女性として『これからどうして良いのか、わからなくなった』と思います。

母親の死があまりにも重すぎたのか、わずか数日後に入院します。その年の10月には、彼女が12歳の時から、自宅で一緒に住んでいたニック・ゴードンとの婚約を発表しました。ボビーにとって唯一心を許せる人だったのかもしれません。

母親ホイットニーの残した財産は、日本円にしても110億円以上。一生働かなくても、誰に頼ることなく豊かに暮らせお金でした。まだ21歳、人生これから謳歌するというときに、母の命日が近い今年の1月31日、自宅のバスタブで倒れているのが発見されました。

病院に運ばれましたが、意識がはっきりと回復することはありませんでした。昏睡状態が続くなか、病院を変えたりしましたが、現地時間7月26日亡くなりました。わずか22歳。最後まで『ホィットニーの娘』でした。できたら『ボビーとしての人生』を過ごして欲しかったですね。

母の元に旅立ったボビーは、今度こそお母さんといつまでも幸せに過ごせますね。誰にも邪魔されずに、ホイットニーの歌を一緒に歌うことができることを願っています。

ボビーとホィットニー

ボビーとホィットニー

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