『つながったパズル』30年来の友達の行方が分かった時

私が1978年から79年にかけて、ドイツのデュッセルドルフで働いていました。日系ホテルがオープンするために、新規採用されホテルの和食で働くことになり、面接の結果たくさんの応募から選ばれました。ホテルフロント2名、電話オペレーター2名、そしてウェイトレス7名が採用されました。

和食の店に働くのはマネージャと女将さん。それに現地で採用された日本人のアシスタントマネージャーがいました。私たちはマネージャーと一緒にドイツに旅たちました。鉄板焼きのシェフ5人、和食の板さん5人、そして洋食のレストランで働くシェフも3人いました。まるで修学旅行ののりで、初めての海外(ほとんどのスタッフとって)に興奮しました。

和食に採用されたウェイトレスは全部で8人。当時19歳から25歳ぐらいまでの、青春のど真ん中にいました。それまで働いていた人、学生だった人。全く知らない者同士が、同じ場所で働きます。育った環境も全く異なったけど、同時に始めたという連帯感からすぐに仲良くなりました。

働いている中ではそれぞれ問題点もありましたが、今から思うと一番楽しかった頃かもしれません。言葉は通じなくても『日本人が多く来る和食』で、お店の中では日本語だけで仕事することができました。そのせいか外国にいるというプレッシャーもなかったけど、『一歩でれば外国』その環境の中で、大いに楽しみました。私の旅行好きはこの時から始まったようです。

私は契約中途で帰国しました。ドイツに残った人、帰国した人もいます。しかしみんながそれぞれの道へと進みました。三カ国に散らばって暮らしていても、どこかでつながっていました。しかしひとりだけ、長いこと連絡のつかない友達がいました。もう25年以上は連絡が途絶えていました。

ところが彼女が、ふとフランクフルトの友達に連絡をとってくれました。退職して最後のドイツという思いで再訪したようです。彼女は一度ご主人とドイツに戻ったので、私よりも思い出がありました。お子さん達も小さい頃は、ドイツで一時期を過ごしています。

フランクフルトの友達が、ずっとそこにいてくれたおかげで連絡がとれました。結婚してずっと同じところに住んでいる数少ない友達です。私もよく連絡を取り合っているわけではありませんが、何処かでつながっていることに感謝します。

残念ながらまだ直接その友達と話してはいませんが、近いうちにきっと連絡できると思います。やっとつながったパズル、もう二度と崩したくはありません。

デュッセルドルフ ケーニッヒ通り by wiki

デュッセルドルフ ケーニッヒ通り by wiki

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2 Responses to 『つながったパズル』30年来の友達の行方が分かった時

  1. 一江 より:

    えっ その方は たぶん私も知っている方ですね。
    後輩の一恵です。

    お元気ですか。
    デユッセルドルフは懐かしいですね。

    • takechan より:

      一恵さんコメントありがとうございます。
      そうです、あなたも知っていると思いますよ。
      でもまだ本人とは連絡とれていませんが、
      元気でいることを願っていました。
      デュッセルドルフ、また訪ねてみたいです。

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