『忘れられた同盟国を再認識する時』 アンザック100周年によせて

本日は『アンザックデー』です。第二次世界大戦のおかげで、『日本は敵国』のイメージを拭い去ることができなかったオーストラリア人もたくさんいました。しかし第二次世界大戦が始まる(1941年に真珠湾攻撃)20数年前まで、オーストラリアと日本は同盟国でした。第一次世界大戦に参戦するためにヨーロッパに向かう『アンザック』を護衛したのは、日本海軍の船だったのです。

それを知らないオーストラリア人も多いです。2002年アデレード大学の上級講師(当時)ビクトリア氏は、オーストラリアの新聞『オーストラリアファイナンシャルレビュー』に、アンザックデーを前に『Time to recognise a forgotten ally』という記事を寄稿しています。

ANZAC-DAY-2015

『忘れられた同盟国を再認識する時』

(翻訳:松崎 元、2002年4月20日)

ブライアン・ビクトリア
オ-ストラリアン・ファイナンシャル・リビュー紙
2002年4月19日号

“Time to recognise a forgotten ally”, by Brian Victoria,
The Australian Financial Review, 19 April 2002
もしこれまでの行為が慣例とされるなら、今年のアンザックデー(4月25日)の記念行事はまたしても、第一次世界大戦時の同盟国からの代表者を欠いたまま、催されることになるだろう。それが大変重要であるのは、その同盟国が果たした貢献があるからで、その参加を抜きには、アンザックデーを記念して行われる行事も意味をなさないことである。

ところで、その同盟国とはどの国なのか。

この問いに答えるためには、我々は、1914年の第一次世界大戦勃発の際、アジアをおおっていた状況を思い起こす必要がある。

その時、英国は、第二次世界大戦の時にそうであったように、ヨーロッパにおいて、ことにドイツからの深刻な脅威を経験していた。さらに、1904年当時、英国はアジア地域に、五隻の戦艦と一隻の装甲巡洋艦を配置していたものの、1914年3月には、戦艦二隻、巡洋戦艦一隻、巡洋艦二隻というように、縮小を余儀無くされていた。

その一方、ドイツは、その植民地であった遼東半島の青島に、要塞と大規模な海軍基地を擁していた。この青島は「東洋のドイツ領ジブラルタル」と呼ばれ、マクシミリアム・グラフ・フォン・スピー海軍中将ひきいるドイツ極東艦隊の母港となっていた。

アジアにおけるドイツの海軍力の存在は、太平洋に点在する植民地を含め、極めて強大で、1914年3月、初代海軍本部総督であったウインストン・チャーチルが下院での演説で認めたように、英国艦隊とは較べものにならないものであった。

それでもなお、チャーチルは、たとえ二隻や三隻の弩級戦艦をオーストラリア海域に配置したところで、自国海域において英国海軍が撃退された後では無用であることを指摘して、アジアにおける英国海軍力の存在を削減する自らの決定を擁護したのであった。

チャーチルはまた、アジアにおいてのドイツとの戦いは、孤独なものにはなりえないことを計算に入れていた。すなわち、英国は、1902年以降、アジアでのもっとも強力な国家、大日本帝国との軍事同盟により、利益を受けることとなったのである。当初のこの同盟のねらいは、ロシア皇帝の満州、朝鮮そしてその先への南進を食い止めたいとする英国の意図であった。そして今や、英国は、日本が、他の欧州勢力によって英国の権益がおびやかされることに対する対抗力となると期待していたのであった。

その同盟条約はそう義務付けてはいなかったが、日本は、1914年8月23日、ドイツに対し宣戦布告し、11月までには青島の要塞を攻略した。だがこの戦いで、日本は2200人以上の死傷者をその代償に支払った。

同じ頃、松村達夫海軍大将は、戦艦薩摩、巡洋艦矢作および平戸を率い、ドイツ軍の侵入を探索するため、オーストラリアへの航路をパトロールしていた。こうしたパトロールの重要性は、1916年から1918年の間に、およそ12万トンの同盟軍の船舶がその侵入者のひとつ、ウルフの餌食となった事実からもうかがえる。

1914年の秋には、巡洋戦艦伊吹がウエリントンに急派され、その後フリーマントルへ回航し、地中海へと向かうアンザック軍の最初の船団を護衛した。この大戦中、日本帝国海軍は、ドイツ海軍の出没するインド洋から中近東への海域において、繰り返しアンザック軍の護衛にあたった。

こうしたアンザック軍艦隊のひとつにあって、女王陛下オーストラリア海軍巡洋艦シドニーが、本隊から離れて行動し、ドイツ海軍巡洋艦エムデンを撃退した話はよく知られている。しかし、巡洋艦シドニーが敵艦を探索している間、アンザック軍を守っていたのは伊吹のみであったことは、あまり知られていない。

こうした話や同様な事例にてらしてみて、日本の援助なくしては、英国は大平洋ならびにインド洋の支配を容易に失っていたことは想像にかたくない。さらに、こうして安全を確保された輸送手段なくして、アンザック軍がヨーロッパに派遣されることは不可能であったろう。

日本は、こうした艦隊護衛にあたり、資金、人命の両面にわたるコストを支払った。たとえば、1917年6月11日、日本海軍の駆逐艦榊は、地中海において、オーストリア・ハンガリア軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けた。その爆発とそれに続く火災により、艦長を含め67の人命が犠牲となった。第二の駆逐艦松は、それに続く交戦で破損した。

こうした損害にもかかわらず、最大時には17艦船からなった日本海軍の地中海小艦隊は、同盟国の788隻の艦船に同行して地中海を先導した。この中には、70万人の兵員を運ぶ輸送船隊も含まれていた。したがって当時、英国海軍は、ヨーロッパの同盟国であるフランスやイタリアよりもはるかに多い日数、艦船を海上に配置していた日本の業績を賞賛したのであった。

一方、アジアにおいては、日本海軍は残留するドイツ侵入艦船を容赦なく追撃し、メキシコに至るまでもの海域で同盟国の船舶を護衛した。こうして、自海域から遥か離れても遂行される日本の能力には、米国も一目おいた。そして米国は、1917年10月、英国を支援するためその大平洋艦隊をヨーロッパに送っている間、ハワイ海域の通商を守るための任務を日本に委ねた。さらに日本は、オーストラリアやニュージーランドから離れる通商船舶の安全保持の任務もまかされたのであった。

こうした事実をかえりみて、日本の貴重な貢献をアンザックの逸話に加えようとするのは、行き過ぎた要求であるのだろうか。この問いに対し、第二次世界大戦中の日本人の野蛮な行為について、その赤裸々な記憶をいまだに新たにするオーストラリア人にとって、さらにひとつの回答がある。それは、オーストラリアではそのすべてが忘れられがちな、第一次世界大戦がもたらした遺産で、1919年の初め、パリ講和交渉の際、豪州首相ビリ-・ヒューズによって表明された人種差別の言動である。

その交渉で日本は、新たに設置された国際連盟の規約に、「民族的偏見もとづく差別的扱い」に反対する明確な条項を含むよう提案した。英と米はこの提案を支持する構えであったが、ヒューズ首相は、オーストラリアがとる「白豪主義」に反対するいかなるものも容認しないと強固に反対した。

ヒューズ首相は、この戦争中一貫して、すべてのアジア人はオーストラリアに問題をもたらすとする、いわゆる「黄禍」を繰り返し警告していた。

彼は、ドイツの勝利を祝うある催しで、こう主張している。「白人文明のこの孤独な辺境の植民地(オーストラリア)は、その弱小な守備隊をうばわれて、みすぼらしいアジア人に空け渡され、社会的にも経済的にも、パラグアイや他の未開国のような水準におちこむだろう」。

言い替えれば、日本人は、アンザック軍をヨーロッパに派遣する上では、焼け死ぬことをもっても当然であるが、そのうちの一人たりとも、オーストラリアに住み着くことはよしとしない、というのである。

言うまでもなく、だからと言って、これは次の大戦中のオーストラリア人捕虜に対する日本人の野蛮な取り扱いを正当化するものではない。しかしそれでも、いったん第一次大戦が終わると、たちどころに、日本人の貢献をその記憶から消し去ったオーストラリア人や他の欧米同盟国の白人に対する、日本人の深い遺恨の思いを説明するには十分なものである。

その当時日本に住み、日本研究の専門家で日本政府の補佐官をも勤めたことのあるジェームス・マードックは、「この民族差別の言動は、日本人にとって『最も重大な懸念』となっている」と、オーストラリア政府に緊急報告を送った。そしてマードックは、無気味な予言をするかのように、この問題は「もし適切に扱われないなら、危険なものとなるだろう」と進言した。そして事実、その通りとなったのであった。

1921年、外敵の脅威から解放された英国は、日本との軍事同盟を廃棄する。さらに、1924年、米国は、オーストラリアのように、排斥法によって日本人の移民を禁止した。
国際関係にまつわる現実は、紛争の原因がまれに、完璧に一方的であることを告げている。

我々オーストラリア人はアンザックデーを記念する準備をしている。今や、この国の防衛に日本が行った並々ならぬ貢献を、思い起こす時が来ているのではなかろうか。

本当の和解とは、つねに、二方向通行によってなされるものである。

(ブライアン・ビクトリアは、アデレード大学アジア研究センター、上級講師)

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