『アンザックを護衛した日本海軍』〜アンザック100周年によせて

私が初めてオーストラリアに来た頃、『アンザックデー』はこれほど大きな行事ではありませんでした。午前中からある兵士たちのパレードが終わると、シドニー周辺のパブでみんな飲んで騒いでいました。当時の市内と言えば、今のように高層ビルもなく、祭日はお店が全く開かずに『し〜ん』と静まり返ってしました。

そんな中でお酒を飲んで騒いでいるので、『酔っ払いのオージー』のイメージしかありませんでした。日本人の観光客が来始めた頃で(日本航空もカンタス航空も週1便から週3便に増便したばかり)、観光しているバスに生卵が投げつけられたこともあります。

『日本人はパレードを見に行くな』と言われました。第二次世界大戦に対するイメージを持っている人も多く、また日本の企業がバブルにかこつけて、大量にオーストラリア進出していた時期でもあり、『日本人を敵対視』するオーストラリア人もいました。

そんな肩身の狭い思いをしたこともありますが、今年はアンザックデー100周年というので、いろいろと調べていたら、『アンザックを護衛した日本海軍』の話を見つけました。歴史の事実ですから知っている方もいるのでしょうが、私自身何も知りませんでした。ましてやオーストラリア人で知っているのもほとんどいません。

アンザック(オーストラリアとニュージーランドの合同軍隊)は、1915年4月25日にトルコのガリポリに上陸しますが、1914年10月、西オースラリア州のアルバニーに、オーストラリア国内、そしてニュージーランドから兵士達が集結しました。この兵士たちをエジプトまで護衛したのが、『日本海軍の伊吹と矢矧』でした。

当時ドイツ軍は中国の青島を占領していましたが、英国軍はヨーロッパ戦だけでアジアに軍隊を送る余力もなかったので、日本軍と『日英同盟』を結びます。最初はドイツと交渉して英国は、ドイツがロシアと手を結んだために『日本』と同盟を提携しました。これにより日本軍は、オーストラリアとニュージーランドとも同盟を結んだことになりました。

当時アンザックの軍事力はまだ弱く、日本の護衛なしではヨーロッパにも行けなかったようです。しかしその反面、オーストラリア政府は『白豪主義』ととっており、アジア人に頼るのは悔しかったようです。そのために日本軍の護衛は、オーストラリア国内であまり知られていませんでした。『オーストラリア海軍の白豪主義』に辟易した日本海軍は、ベルサイユ会議に『人種差別撤退条項』を提案したこともあります。

第一次世界大戦に日本が加担したことが、その後ミクロネシア地域を統治する起因になっただけでなく、『オーストラリア人を護衛したにも関わらず、オーストラリア人から受けた人種差別』が、第二次世界大戦で敵国として戦うことになったとも言われています。

これに関しては平間洋一さん(NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の歴史検証と軍事指導を担当された方)の著『『第一次世界大戦と日本海軍 ー外交と軍事との連接』を読まれると詳しいそうです。今回は早川理恵子さんのブログ『やしの実通信』から参照させていただきました。

ここにオーストラリア人ブライアン・ビクトリア氏が、オーストラリアンファイナンシャルレビューに2002年4月9日に書いた記事があります。宜しければご一読ください。日本軍海軍の協力を知らないオーストラリア人のために、アンザックーデに寄せて書いたものです。松崎元さん訳『忘れられた同盟国を再認識する時』

アンザックを護衛した『伊吹』by wiki

アンザックを護衛した『伊吹』by wiki

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