テレサ・テン没年20年に思う

私が青春を謳歌していたころ、好きだった歌手にひとり『テレサ・テン』がいます。台湾出身の彼女は14歳でデビュー、台湾のみならず香港、マレーシア、シンガポールなどを中心に東南アジアで人気がありました。ついに1974年21歳の時に、日本デビューをはしたます。

すでにアジアではスターだった『テレサ・テン』が、鳴り物入りでデビューしましたが、デビュー曲『今夜かしら明日かしら』がアイドル歌謡曲だったために、売れ行きは伸びませんでした。そこで歌謡曲路線に転向したデビュー2作目『空港』は大ヒットになり、日本でもトップスターの仲間入りをします。

テレサテンの記念切手

テレサテンの記念切手

しかしビザの関係もあり、台湾、アジアそして日本を行ったり来たりするのは大変だったようです。1972年に台湾と日本は国交を断絶していたので、入国の度に複雑な手続きが必要だったようです。彼女はインドネシア政府が正式に発行したパスポートを持っていました。1979年2月、インドネシアのパスポートで入国しようとして、『旅券法違反で国外退去』になりました。

1984年に音楽ファンの強い要望でやっと来日が許可され、発表した曲が『つぐない』日本で大ヒットになりましたよね。85年には『愛人』をリリースして、初めて紅白歌合戦に出場しました。そして翌年86年には『時の流れに身をまかせ』とリリースしました。このころが年齢的にも一番良かったころかもしれません。

没20年を記念した追悼音楽会のポスター

没20年を記念した追悼音楽会のポスター

1989年中国の民主化を支援するコンサートを香港で開きますが、この年にパリに移住しました。1992年ごろから喘息を悪化させ、次第に体調を崩していったそうです。表舞台からだんだんと遠ざかり、日本に来ることもまれになりました。

そして1995年静養のために訪れていたチェンマイで、気管支喘息の発作のために亡くなっています。わずか42歳という短い命でした。彼女が亡くなると、『テレサ・テンスパイ説』『テレサ・テン暗殺説』などが飛び交いましたね。それだけ彼女のが大スターだったのです。

彼女遺体は火葬にされず、『エンバーミング』などを施されて土葬されました。没後50年は生前の姿で見られるそうです。お墓は台北市の北東に位置する金宝山にあり、小さな公園のように整備され、本名の一字を取って『筠園』と呼ばれているそうです。彼女の銅像もあり、彼女の歌声が絶えず流されているそうです。

台湾では彼女の生没20周年を記念して、『記念切手』が発行されたそうです。たくさんファンが買い求めました。台湾の若い人たちは『テレサ・テン』をテレビでも見たことがないでしょうが、両親が歌うのを聞いて知っているようです。

5月23日には渋谷公会堂において、『テレサテンメモリアルコンサート〜没20年追悼ちゃんりティー音楽会』が開催されるそうです。日本にいたらやっぱり行きたいなな。彼女が3Dで登場するそうです。

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