ピーター・ハーヴェィ オーストラリで最も信頼なるジャーナリスト

『ジャーナリスト』と言うと皆さんはどんなイメージがあるでしょうか?やはり新聞記者などの報道記者をイメージされると思います。その昔は新聞、雑誌などの『自分で取材して記事を書く』タイプのジャーナリストが多かったですが、『テレビ』という新しい報道媒体が出現してから、レポーターもジャーナリストと呼ばれるようになりました。しかし昨今のテレビ(特に日本の報道番組)を見ていると、アナウンサーと呼ばれていますが、ジャーナリストと呼ばれる人は少ないようです。

オーストラリアの報道番組は、レポーター上がりの人達が司会をしています。こちらでは『アナウンサー』と言う言葉は使用しません。曲りなりにも大学でジャーナリズムを専攻したした人達が、レポーターに応募する人が多いですね。レポーターを何年間か経験したあとに、ニュースプレゼンター(日本語ではニュースキャスター、またはニュースアンカーと呼ばれていますが、どちらも和製英語だそうです。)になります。しかし自分の意識ではやはり『じゃーナリスト』です。

ピーターハーベィと家族のみなさん by SMH

ピーターハーベィと家族のみなさん by SMH

オーストラリアにはすばらしいジャーナリストがたくさんいます。浮き沈みの激しいレポーターの世界で、この人ほどオーストラリア市民から、またオーストラリアのジャーナリスト界だけでなく、政界、経済界などから親しまれた人はいないと思います。一度この国に住んだことがある人なら、一度は必ず彼のレポートを聞いたことがあるはずです。それほどこの人は長らく、死ぬ間際までテレビレポーターとして活躍していました。

オーストラリアのテレビ局『チャンネル9』のニュースレポーターとして活躍していましたが、もともとは新聞社で働いていました。当時は『ジャーナリズム』を専攻する学校もなかったようで、彼は新聞社で見習いをしながらジャーナリズムを勉強したそうです。新聞社を経てラジオ局に勤務したそうです。その後BBCラジオ局に勤めた時に、『レポーター』の仕事を始めました。その後ベトナムの戦争記者を経て、オーストラリアに戻り『チャンネル9』に勤務しました。

どんなに人から愛されたレポーターでも、病気から逃れることはできませんでした。去年10月にすい臓ガンと診断された時にはすでに末期状態だったそうです。テレビで告白した彼は、キーモセラビーを受けながら『ガンと闘うのではなく、ガンと仲良く生きる』ことを選んだそうです。しかしどんな状態にあろうと、どんな治療をしていようとも、最後まで『ジャーナリスト』として生きる道は捨てませんでした。

入院して出勤できない時を除いて、直前まで週三日は出勤していたそうです。毎日のテレビニュースのレポートをすることはありませんでしたが、彼にしかできない特別のレポートや番組を担当していました。また後輩のジャーナリストや報道番組の担当者にもアドバイスしていたそうです。

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ピーターハーヴェイの葬式 by SMH

3月2日に永眠についたピーターハーヴェィの葬式が本日行なわれました。会場はダーリングポイントにあるセントマーク教会。彼が45年前に挙式をした教会だそうです。一応プライベートな葬式と言うことで、テレビ、ラジオ、新聞や雑誌の報道関係者と言っても、比較的近いひと達だけが出席したようです。しかし彼が亡くなった時もそうでしたが、この葬式もどの局のニュースでも報道されていました。彼は亡くなっても、彼が残した業績は、いつまでも語り継がれることは確かです。しかしバリトンの魅力的な声(ゴッドズボイスと呼ばれていました)が、もう二度と聞けないのは残念です。

彼の告別式は3月9日1時から、シドニータウンホールで開催されます。

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